「白衣の君」(6)
「とにかく、こいつが何を探しているのか知らねば話にならんな」
カッカする実光をさておいて博雅はふむ、と頭を捻った。
「昨日の晩きたという妖しは正確にはなんと言っていたのか詳しく聞かせてもらえないだろうか?」
博雅は再び番頭を呼んで聞いた。嫌が応でも博雅は深く関わることになってしまった。
「確か…連れを返せとか申しておりました。ここに俺の連れがいるはずだ、と」
「連れ?」
「それからそれがいると思ったのか家に中にむかって声をかけました。おまえにはやることがあるはずだ、さっさと出てこい、と。」
「ふうむ」
確かさっきの瓜の中の声も似たようなことを言っていたな。
ふたつでひとつ何をか為さん…
「やっぱりこの屋敷の中に何かあるはずだ」
博雅は顔を上げた。
あるじの伏せる座敷に目をやった。
「ご主人。」
ううむううむ…と唸っているこの屋敷の主に、その枕元に座った博雅は声をかけた。
「聞こえまするか。ご主人どの。」
「…な、なにか…うう…」
眉間に苦しげな皺を寄せて主人はようようのことで返事を返した。とりあえずまだ話はできる状態らしい。
「あなたさまをこのようなさまに追い込んだのは、昨夜この屋敷にきた者の仕業にまず間違いないでしょう。」
「…う…うう」
わかる、と主は首を小さく縦に振った。
「その者が探しているものさえ渡せば、あの瓜の障りは解けましょう。わかりますか?」
「うう…」
また主人は首を縦に振る。
「昨日、あなたたちはそいつが家の奥に向かって大声で呼ばったのを見て、それが探しているは人だと思った…違いますか?」
「そうだ…だが、そんな…者は…おらん」
はあはあ、と息を荒くしながらあるじは首を振った。
「さようでございますとも。ここの店で働く者はみな素性のしっかりした者だけでございます。わたしどももそれはよおく存じております」
苦しげなあるじに代わって番頭が答える。
「それはどうでしょうか…」
あごに手を置いて博雅は目を伏せた。
「え?どういう意味でございます?ハッ!まさか、身元を偽って入った者がいると?」
どうやら店に雇うものの検分を任されているらしい番頭は、飛び上がるほど驚いて声を上げた。
「いえ、そういう意味ではございません。連れを探しにきた、とその男は言ったのですよね。」
「ええ、確かにそう言いましたとも」
不安げに番頭が答えた。
苦しげな主も責めるような目を番頭に向けた。
「でもそれは本当に人を探しにきたのでしょうかねえ?」
「え?」
「その男が探しにきた『連れ』とは『人』、という意味でしょうか?」
「そりゃあ…」
「探しにきたのは『人ではないもの』なのに?」
「あっ…!」
番頭は声を失った。
「さて、もう一度ご主人どのにお聞きします。…あなたは何か隠し持っている『モノ』がありませんか?」
「う…っ!」
主はギュッと目を瞑った。
「…あれの…ことだろうか…」
瞑っていた目をぼんやりと開いて、あるじが熱でひび割れた口で言った。
「やはり、心あたりが…?」
「だが、あれは…渡せぬ…」
主は自分の上に屈みこむ博雅を見上げた。
「あれの…おかげでこの店はここまでになったのだ…、あれはこの家の守り神…誰にもやらぬ…」
「ご自分の命と引き換えでも…ですか?」
「う…」
穏やかに、だがきっぱりと言い切る博雅の言葉にあるじは思わず言葉を失ってしまった。
いくら熱にうなされて朦朧としているとはいえ、それでも己が命はなにより大事。こればかりはどれほどの財とも比べ物にはならぬ。
主はしばらく唇をかみ締めてじっとしていたが、ついにその手が動いた。ふるふると震える手を自分の枕の台のところに伸ばした。
「こ、ここに…」
コツコツとその部分を指先でたたいた。
わかった、と目で合図して博雅があるじの枕元を探った。本当に主の頭の真下、金持ちらしい紫檀で出来た枕の台のところに小さな金の金具が釣り下がっていた。それをつまんで博雅はそおっと引っ張った。
カタリ…、小さな音を立ててそれは引き出された。繋ぎ目もよくわからない精巧な引き出し、その中にソレはあった。
「勾玉…ですね」
庭から見えないように、周りに気取られぬように博雅は引き出しの中にあったその透明な玉を手のひらに乗せた。
「これはいったい?」
「私のすべての運はそれのお陰…それがこの手にある限り…家の繁栄は…続くのだ…。渡したくは…ない…」
それでも命は惜しい…と、この家の主人は悔しそうに唇を噛んだ。
まだとても若い頃、旅先の山の中で突然の嵐にあったここのあるじ、たたきつける滝のような豪雨に、道を外れて雨をしのぐ場所を探した。
そして見つけた山陰に開いた横穴、熊の住処ではないかと怯えながらも激しく吹きつける雨と風、轟く雷鳴に入り口の笹や下草を掻き分けてその中へと潜り込んだ。
入ってみれば以外に中は広く、とても熊の寝床とは思えなかった。
触ってみると壁は山肌ではなく冷たくのっぺりとしていた。
「なんだ、ここは?」
どうやら壁は漆喰か何かのようであった。その壁を手で探りながら奥へと進む。まだ若いゆえか、そのころのあるじは怖さより好奇心が先に立った。それにここから街道まではほんのすぐそこだ、それも怖さを半減させる要素であったろう。じりじりと進む主の足にコツンと何かが触れた。なんだろう?と屈みこんでその小さな石のようなものを拾った。
薄暗い闇に目を凝らして摘み上げたそれに目を眇めた。
「石?…いや、これは勾玉だ…」
その時、外に雷鳴が響き稲光がその横穴の奥を照らした。奥といってもそれは若き主がその時いた場所。いつの間にやら奥まで入り込んでいたあるじ、稲光に照らされたものを見て悲鳴を上げた。
「うわあああああっ!」
奥の壁を背にして、そこにはこの石室の本当の住人がいた。まばらに残る髪を両脇に纏めて石の玉座に座る干からびた骸。
あるじの叫び声に驚いたのか、それとも長い間に動かなかった石室の空気が動いたためか、玉座に座った骸の頭がカシッ、と傾いた。
「ひっ!ひいいっ!お、お助けっっ!!」
半分腰を抜かしながら主はその石室から嵐の中に逃げ出したのだった。
その手にしっかりと勾玉を握り締めて。
「それを手に入れたその日から…私には大きく運が向いてきたのだ…」
熱に浮かされた濁った目を必死に開けてあるじは言った。
何をやっても全て自分の都合の良いほうにことが進む。人もうらやむ強運。
それをこの小さな石によってあるじは手に入れたのだった。
「なるほど…。この家を繁栄に導いた幸運の宝。でも、妖しの探している連れとはどうやらやはり、これのようですね」
そう言って博雅は手のひらを開いた。
「ふむ、これはたぶん耳飾というものじゃないかな?」
手のひらで転がる石を見て博雅が言う。
「耳飾り?なんだ、そりゃ?」
実光が博雅の手のひらを覗き込む。
「昔の身分の高い人間は、耳や首に珍しい石で飾りを作ってつけたんだ。貴石を身につけることで自分の権威を示そうとしたんだな。そして死んだときにその亡骸をその飾りもので飾って埋葬した。こちらは死後の世界に対する備えだとか、やはり権威を示すためだとか言われている。」
「へえ。よく知ってるなあ。でも、そんな石っころ、耳にどうやってつけるんだよ」
「ここに穴が開いてるだろう?ここに金具をつけて耳たぶに空けた穴に通すのさ」
手のひらの上の石に空いた、小さな針の穴のような穴を博雅は指差した。
「み、耳に穴?うそだろ?」
実光は思わず自分の耳を押さえた。
「俺、その時代に生まれなくってよかった…」
と、博雅たちが顔を寄せ合って話しをしていると、突然その石がゆるゆると光りだした。
「な、なんだ?光ってるぞ、こいつ」
「や、やはり、物の怪でございますか?」
番頭がその光から逃げるように顔を背けて言った。
「う〜ん、そんな悪いものだとは感じないけれどなあ」
光る耳飾を手に博雅は頭を傾げた。
「何を言ってる、博雅。そんなこと持っただけでわかるものか。それより、原因がそいつなら、とっととあの瓜にそいつを返して終わらせちまおう」
「やっぱり、それは嫌だ!」
熱でうなされながら臥せっていたはずの店のあるじが、がばっ!と布団を跳ね除けた。
「だ、だんなさま!」
番頭が驚いてあるじを見る。
「そ、それは、我が家の宝!誰にも、わ、渡すわけにはゆかぬ!」
熱でふらふらになりながら仁王立ちになって声を荒げた。
「お、おまえさんっ!」
少し離れた場所にいたおかみが、びっくりしてこちらに向かってくる。
「おまえはそこにいなさい!」
奥方を制してあるじが怒鳴る。
「…お、おまえさん」
何があったのか見当もつかない奥方は、足を止めてすっかり途方にくれてしまった。
「それを見せたのが間違いだった…さあ、それを今すぐ返しなさい」
熱と冷や汗でぐらぐらになりながら、店のあるじはそれを返せと手を差し出した。
「あんた、馬鹿か。こいつを返さないと憑り殺すって言われてるんだぜ、わかってるのか?」
「そ、それを退治してくれると言ったのは、あ、あなたさまではないですか!」
熱にうなされつつも、やり手の商人らしく、どうやら実光のさっきの言葉だけはしっかり聞いていたらしいあるじは、実光と博雅に向かってきつい視線を投げつけた。
「そ、そりゃあ、さっきはそう言ったが…」
「武士に二言はない、とわれ等市井のものは、う、伺っております。実光さまは、お侍さまでしょう、に、二言はございませぬよね!」
「うっ…」
痛いところを付かれて実光は言葉に詰まってしまった。
「ほらみろ、言わないことじゃない…」
博雅は、額に手を当てて、はあ、と大きくため息をついた。
「わ、わかった!なんとかすればいいんだな」
武士に二言はない、と実光はなかばヤケになってそう言った。
「なんとか、って言ったってどうしたらいいのかもわからないじゃないか」
「なんとかなる。」
実光は博雅の背後に目をやって言った。
「ちょっと来てくれ」
そう言うと博雅の肩を叩いた。
「何だ?」
俺に相談されてもわかんないぞ、と廊下の角を曲がった突き当たりで博雅は言った。
「おまえじゃない。」
「は?」
いったい、何を言い出すんだ?と博雅は驚く。
「俺じゃなきゃ誰に相談するんだ?ここにはおぬしと俺しかいないぞ」
「…そうだな」
ブスッとした顔でそう呟くと、実光は博雅の体をガバッと自分に引き寄せた。
「うわっ!な、何を…むがっ!」
する、と言い掛けた言葉が実光の唇で塞がれた。
「んんっ!」
目をまん丸にして抗議する博雅にお構いなく実光はくちづけを深める。
「…んんん…っ…」
頤をきつく捕まれて開かされた咥内に、実光の熱い舌が差し込まれて…。
ぬるりと舌が絡まった瞬間、博雅の頭の中を閃光が走った。
バシッ!
「ってえ…」
張り飛ばされた頬をさすって、実光は苦く笑った。
「殴られて当たり前だ、こぶしでなかった分ありがたいと思え」
実光の目の前に立った博雅の目が険悪な光を放った。
そういってすっくと背を伸ばして腕組みをする博雅は、いつもとはまとう雰囲気があまりにも違う。博雅も姿勢はいいほうだが、今の博雅はそっくりかえっているわけではないのだが、なぜかいつもより背が高く見えた。いや、背が高いというよりはその視線のせいか。
見下すような冷たい目が実光を射る。
「よくも、博雅を面倒ごとに巻き込んだな」
「おいおい、それは違うだろ。博雅が巻き込まれそうになったのを俺が助けに入ったんだぜ」
「余計にことをややこしくしただろうが。すべて見ていたぞ。あれはおぬしごときの力でどうにかできるシロモノではない」
「…やっぱり?俺も途中からますいなあ、とは思っていたんだ。だから、おまえさんを呼び出したんだよ」
「呼ばれなくてなんとかするつもりだったさ」
実光にくちづけられた唇を不機嫌な顔でグイとぬぐって、博雅の守護者は言った。
「さて。」
熱でうなりながらも勾玉を離さぬあるじと、どうしてよいやら判断不能になってうろたえる番頭、同じくおかみ。網の中で暴れる瓜。そして実光と、少し離れた柱の影からのぞく物見遊山の将太。
これらの前で、きちんと正座した博雅がパン!と手を打って言った。
「ここの実光に代わって、私が今からこの状況を収めます。異存はございませぬか?」
「も、もちろんでございます!」
むしろ、一番最初にお願いしたのは実光ではなく、この若い医者のほうだ、いまさら異存などあるわけもない。番頭が主のほうをうかがいつつ答えた。
「あるじどのの命を救って、妖しの勾玉も返さずに、ですね?」
「も、もちろん…」
今度はやや自信無げに、答える。
「ずいぶん、強欲な相談ですね」
まるで、番頭の心の中を見透かしたかのように博雅は言った。
ドキリとする番頭。まさにそう思っていたのだ。
店はもうこんなに大きいのだから、そんな妖しものなどとっとと返せばいい、と。
「は、はあ…」
「な、何が悪い」
思わず俯く番頭に代わって答える声があった。もちろん、この店のあるじである。
「こ、これは屍骸に付けられていたものだと、お、おぬしはさっき言うたではないか。死んだものには、宝の持ち腐れ、不要のものじゃ。わしに使われてこそ、これにも価値がある」
熱に浮かされた濁った目で博雅をにらみ付けて言った。
「わしに使われてこそ…ねえ」
さて、それはどちらですかな、と影の陰陽師は、唇の端にうっすらと笑みのようなものを浮かべた。
家のものに言いつけて布団を縫う長い針を二本用意させると、博雅の姿の陰陽師は将太に薬箱を持ってくるよう言った。
「はい、先生、薬箱。」
博雅の前にどんと薬箱を置くと、将太は目をきらきらさせて博雅を見上げた。
「ねえねえ、先生、今からあの妖しも退治するの?」
ついに声がかかったと興奮する将太。鼻息が荒い。
「まあな」
そんな将太をちらっと見て陰陽師は答えると、薬箱の蓋を開けて中を探った。
「うへえ!かっこいい〜!で、どうやってやっつけるの?俺にもなんか手伝える?」
「いや、おまえはまだ無理だな。その代わり…」
小さく笑って将太にそう答えると、陰陽師は横で袖に手を突っ込んで興味深そうに見ていた実光を振り返って
「実光。おまえには手伝ってもらうことがあるぞ」
そう言った。